センター長ブログ

一般社団法人審査センターのセンター長ブログです。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - | - | - |
今年も最後です。このブログも最後です。
 

1227

いよいよ最後になりました

 2009年の3月から書き綴っていたこのブログも、そろそろ店仕舞いしようかと思っています。当初は、以下に書いたような気合だけで、どこまで書き綴れるかと、自信なくスタートしたのですが、なかなかどうして、こんなにも続いて来てしまいました。

 

 しかし、十分とは言えないまでも、少しは役に立ったのかなぁ、なんて一人思いながら、でもこれ以上続けることに意味があるのかとの自問自答を繰り返し、そろそろお役御免でもいいなぁ、と考えております。

 

 不定期にまた書くとなると、それも如何なもんかと思いますので、きっぱり・さっぱりと打ち切りとします。

 

 ということで、今日は少々過去を振り返りながら…、

 

 まず、昨年の4月に以下のような出だしでスタートした時点から振り返ります。

 

「審査センターのホームページの刷新に伴い「センター長、(根注棒ブログ発信)世の中を斬る!!

 

テーマ:人を育てる人間教育の道場、それが「審査センター」であるという信念を持っています。「審査」というものは、審査する側の全人格が結果に反映されるものであるという考えに基づきます。ですから、スタッフの一人一人も審査を通して人として大きく成長して欲しいと願っています。その成長とともに「審査」の精度も密度も信頼度も格段に増し、それがまた世間からの評価につながる、という好循環をもたらしてくれます。

     ですから、このブログでは、若いスタッフに向けての人間教育の一コマ一コマを書き記しながら、センターで繰り広げる泣き笑いをご紹介していきます。

また視点を変えて、世の中に対する怒りを、世間で出会った面白話を、巷の感動秘話をお知らせできたらと思っています。

 

  根注棒とは:「根性注入棒」のことです。巨人の星、星飛雄馬の父一徹の持っている竹刀のような、座禅の時のお坊さんが持っている警策(きょうさく、または、けいさく)のような、観光地のお土産物屋で売っている木刀のような(?)そんなものであり、みんなが悩んでいたり、間違ったことをしたり、道に迷っていたりしている時に、何かヒントを与えられるようなそんなものです。

 

こう書いて始まったんです。いま読み返してみると、なんと僭越な・横柄な・厚顔無      恥な発言だったんでしょう。振り返ってみれば、教えられたのは筆者の方で、みんなにしっかりと成長させてもらいました。未熟な長がスタッフと軋みながら、試行錯誤を繰り返して辿り着いたところは、以前の狭い視野に立っていたところと比べ、少しだけ広い視野のところでした。

   

 そんな成長をもたらしてくれた皆さんに感謝です。この感謝の姿勢、頭を垂れる姿勢を見せられなかった、という反省はあります。だから誤解されたところも大いにあると思います。でも、来年はこの感謝を持って皆さんと接して行く、そうしてまたお互いに高め合って、もう一段上のステップに登って行きたいとつくづく感じる今年の終わりです。

 

 ふと思い出しました。なんでブログを書き始めたかを。

 ホームページを作る際に、どう更新していくのかということが問題になりました。更新のないホームページほど無駄なものはない!!とさるIT社長に断言され、日々更新するためには何が?と思って考え付いたのがブログだったのです。スタッフが交代に書く、という提案をしたら見事却下され(スタッフにです)しかたなく始めたような…(これをスタッフが読むと「仕方なく」ではなくて自ら進んで書いていた、と言われてしまいそうですが)。

 

 書いてみると、話題が続かず、でも更新はしなければならず、そんな時とんちんかんな題材でお茶を濁していたら、これまた非常識な領域に入ったり、全く私的な世界に入ったり、と迷走しながらも、場所を変えながらも都合4年半は書き続けてきたのです。決して好き好んでという訳ではなかったと、ここで釈明しておきます。

 

 ようやく少しだけ肩の荷が下りた、少しだけ解放感が、そんな日々になるのでしょうか。はたまた書きたくって書きたくってしょうがない、そんなイライラが募るのでしょうか。

 

 ということで、このブログは今日で終わります。またどこかで、またブログか何かで、こんな感じでお会いできればいいなぁと思ってます。最後まで話がアッチに飛んだりコッチに飛んだりしてました。こればかりは成長の跡が見えません。文才がないことを自覚し、決して「水嶋ヒロ」になれないことを肝に銘じ、常に読み手でいたいと思います。

 

 最後になりました。これまで本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。加えて、良い年をお迎え下さい。

 

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 00:01 | - | - | - | - |
師走です
 

1220

師走です

 押し迫ってきました、今年も。街はイソイソワサワサと忙しそうです。個人的には精神的に忙しいし、懐も忙しい、というところでしょうか。毎年恒例の歳末風景です。

 

 今週はクリスマスもあり、連休もあり、忙しいにも拘らず、カレンダーが赤くなっています。この赤色がまた世間を忙しくさせている???

 

 ということで、久々に今年は忘年会を開催する予定です。(正確には「でした」です)

理事会で忘年会の話題が出た時に、代表理事曰く「俺んとこは年寄りが忘年会やろうやろうと言っても若い衆が嫌ですって言うんだよなぁ」と嘆き節ともとれる発言をしていました。最近の若いもんは年寄りとの飲み会を嫌がるのでしょうか。

 

 昔の忘年会は上司が上座で、若い衆はお酌をしに回らなければならなく、ちっとも面白いもんではありませんでした。ただ疲れるだけ。飲みたくないものを無理に(付き合いで)飲ませられ、挙句の果てには「俺の酒が飲めないのか!!」的な発言で恫喝。こんな風景も今は昔なんでしょうか。

 

 お酒は楽しく…が基本だと思うのですが、お小言を言うのに酒の席を設けて一席ぶつ、過去を振り返るとそんな事を結構してきた筆者です。来年こそこれは止めなくては。でも一つだけ守っていることがあります。ひと時お小言を言った後、すぐに席を立ちます。その後は自由に飲み食いして欲しい、筆者の悪口を言いながら憂さを晴らして欲しい、との願いからです。これって親心???

 

 なぎら健壱のお酒にまつわる本を読んでいて、今年の最後はおつに飲みたいなぁなんて思っていたら、この組織内の内部的に、ちょっと考え違いをしていたという事件が起こりました。あくまで内部の問題で、他に迷惑を掛けることはなかったんですが、それに危機感を抱き、激怒した筆者「今年は忘年会もやめる!!」との宣言を発しました。その前日ようやく場所を見つけ予約したにもかかわらず、次の日にはキャンセルだなんて…。残念ですが仕方ありません。

 

 今年の年末も、一人寂しく場末のうらぶれたお店で「一人忘年会」でもやるのかなぁ??

 

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 04:51 | - | - | - | - |
プチ・振り返り
 

1213

振り返ります

 今年1年を振り返ってみると、激動だった、という一言ですべてが括られるような気がします。

 

 本当にいろいろありました。それが人生と言っちゃえばそれまでですが、後で振り返った時に2010年、平成22年は特別な年になっていると思います。

 

 個人的には、疲弊もしましたし老けたなぁと感じます。決断に躊躇するようなこともあり、スピード感が鈍ることも時々ありました。まったく違った視点から今の現場を俯瞰する、そんな心の余裕が必要なのかもしれません。

 

 センターについては、今年1年、規模も大きくなり、人数も増えました。職場の緊張感も年初が67だとすれば、年末には9くらいまでになっています。精度・スピードとも上がっているとは思うのですが、まだまだやるべきことが沢山あるとは感じます。これは来年への宿題にします。

 

 新宿に引っ越してきて1年、場所が広くなって4か月、まだまだ人材投資・設備投資が必要です。

 

何のために?

より良い審査を追求するために。その通りです。如何に効率の良い投資ができるのか、できるだけ費用をかけない且つ効き目がある投資、これを引き続き模索しながら、来年を迎えたいと思います。

 

来年には“盤石”になっていたいと思う今日この頃です。

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 05:38 | - | - | - | - |
標語
 

12月 6

そろそろ来年の標語を…

 毎年新年の第一発目に発表するのがその年の標語です。

 今まで「輝」「躍」「叶」とか、その年に相応しい一字を年間テーマとして掲げてきました。そして来年も…、と思っているのですが。

 

 本当は、今年が刈り取りの時期、と思っていたのです。(それで今年は「叶」という標語にしたのですが)気が付けばまだまだ発展途上、まだまだ成長途上ということで、来年は「歩」とか「進」とかが相応しいとの思いもあるのです。

 

 決して後退はしていないと思うのですが、完成まではまだまだの道のりのようです。

 

 昔「365歩のマーチ」なる歌が一世を風靡しましたが、その歌詞の如く「3歩進んで2歩下がる」のが世の常ならば、まさにその通りの歩みです。上手く行った、と思った瞬間ミスが起き、ミスが出た後はそれを教訓として成長し…、その繰り返しです。

 

 とすれば、3歩進んで、少なくとも1歩だけの後退で切り抜ける、そうすれば成長スピードも理論的には上がります。来年こそは3歩進んで1っ歩下がる、そんな1年にしたいと思います。

 

 でも…、

 ちょっと言い訳じみた発言になっちゃうんですが、ここの仕事は人が命、財産なんです。人であるが故にミスも起こります。ミスの連鎖もあります。それを最小限に食い止めるための施策も施してきたつもりです。でも、起こる。

 

 決して「しょうがない」とは言いません。常に改善、改善を肝に銘じ努めています。来年こそは、と毎年年の瀬になると思うのですが、今年も思います「来年こそは!!」と。

 

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 04:42 | - | - | - | - |
12月、月目標
12月 1

今年最後の月目標

 今年も最後の月目標の発表となりました。ということで、今日は水曜日ですが、特別版で月目標を発表します。(スタッフ以外の方にはそんな特別のものではないんですが…)

 

 その前に、先週今年最後のカレンダーを作りました。以前にも書きましたが、ここのカレンダーは毎月手製のものを作っています。その動機は単純で、昨年の9月にシルバーウィークなるものがあり、カレンダーの真ん中あたりが真っ赤っかになっていたのです。

 

 これじゃぁ普通の日も(精神的に)休みモードに入ってしまうという危機感が沸々と。で、思い切って自家製のカレンダーを作った、ということなんです。それが今年1年続き、そろそろ飽きてきたというか、お役目御免というか、十分に役割を果たし、効果もあったと感じますので、来年は市販のものに戻りたいと思っています。

 

 そんなカレンダーに最後の月目標を入力しました。(自家製なので月目標を毎月書き込んでました)その目標は「繊細に」としました。

 

 今の現状を鑑み、適切な言葉を選ぶとしたら「臆病に」だったのです。これで行こうと思いつつもどこか引っかかるのです。読む人(見る人)によっては誤解を受けかねません。また最近弊センターを視察に訪れる方も多く、結構よく見られるんです、この標語が。

 

 それに替わる何かいい言葉はないかと考えたのですが、どうもすっきりしたものが出てきません。英語にしてみても的確なニュアンスがいま一つ伝わらない…。

 

 そんな時に、浮かんできたのが「繊細に」という言葉だったのです。注釈には「審査について、どこまでも臆病であれ!細心に細心を重ね、慎重に判断して行って欲しい。求められるのは繊細さ、である」なんて書き、意図の説明をしました。

 

 時間との戦いをしていると、どうしても雑になってしまいます。特に「審査」においては絶対にあってはならないこと。ミスというものは必ず油断の中か緩みの中からしか生まれてこない。どんなに気が急いていても、繊細に、細心に、臆病なくらいに物事を進めて欲しいと思います。

 

 急いで・ミスして、何にもいいことはありません。だったら余裕を持って心配りをしてことに臨む方が、みんなハッピーの関係になるはずです。

 

 ということで今月は(師走という忙しい月だからこそ)「繊細に」行きたいと思います。

 

 

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 05:40 | - | - | - | - |
あと、ひと月
 

1129

あと一月

 いよいよ今年もあと一月となりました。

早いもんです。

歳を重ねるごとに1年が早く過ぎてしまうような。

 

 今年もいろいろなことがありながらの年の瀬です。その時々では怒りがこみ上げてくるのですが、時間が経ってしまうとその怒りも和らぐのか、いい思い出としてだけ残ってます。この心境がその(怒りに満ちた)タイミングで出ていれば、コトも穏やかに過ぎるんでしょうが、人間鍛錬中の筆者、なかなかその領域というか境地には達しません。まだまだ修行の身なんです。

 

 爽やかなはずの秋の訪れも、紅葉や季節の変わり目を見ずに、もう冬。今年はいろいろな意味で厳しい冬を迎えそうです。

 

 といことで、世間も懲りずにいろいろな事件を引き起こしてくれます。それが年の瀬をより一層慌ただしくしているようにも思えます。明後日からの12月も同じような調子で、あっという間に大晦日になり、予定調和の紅白歌合戦を流し見しながら、気が付けば年を越し、なんていう感じで終わるんだろうなぁ。

 

 今年は忘年会をどうするかまだ決めかねております。1年の最後を「今年もやったぁ〜」という満足感とともに終わりにする儀式としても、是非にとは思っているのですが…。

 

 ここ数年、年末のカレンダーの並びも庶民的ではなく、企業向きな日程となっております。当センターも年末は29日まで目一杯審査をし、大掃除をし、18時ないしは19時まで働きます。年明けは、4日の10時から全員揃って審査を開始します。「休んだ気がしない」という声も年々少なくなって来ています。‘正月’ってこんなもんだ、という諦めにも似た気持ちなんじゃないでしょうか。

 

 まだ、今年を振り返るのには早過ぎます。精一杯12月を走り切り、暗かった1年の最後くらいは、少しでも明るいものにして締めくくりたいとは思っています。

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 05:35 | - | - | - | - |
既視感
 

1122

知合いの誕生日

 すっかり忘れてました。このブログの更新を…。
というのも、一度書いたんですが、書いちゃぁ消し、また書いちゃぁ消しの繰り返しで、よく読むとそらぁまずいんじゃないの・・という感じで、そのまま悩みながら放っぽいといたんです。

ということで、再挑戦で。

今日は、田舎で高校の英語教師をやっている
N君の誕生日です。何故だか知りませんが、1122といえばN君の誕生日と反射的に思ってしまうのです。

 

 そう言えば、昔の実家の電話番号3544というのも忘れないですなぁ。(この当時は、わが故郷では局番すらなかった…???

                                                                                              

 そんなことはどうでもいいのですが、どうも記憶の片隅にあって、ふとした瞬間に思い出すことがよくあるようです。世間では既視感(デジャビュ)と言うのでしょうか。 歳を経るごとにそんなことが多くなって来たような気がします。

 

 ここから、最近の筆者の周辺の動きについてのコメントを書いたのですが、どうも刺激が強く、この場に相応しくない文章になってしまいました。ということで、差し替えをし、当たり障りのないものに変更します。

 

 といっても、勢いで書いた現在の心境だったので、変更するにもどうにも心が収まらず、呑気なものも書けないので、一度書いたもののさびの部分だけを少々…。

 

 「最近の身の回りの出来事、これは7年前とまったく同じ状況のような気がします。あの時も…。

  やはりものごとの繰り返しっていうのはあるのです。」

 

 <中略>

 

 「そんな一連の流れを過去とダブらせてしまう、というのは生きてきた世界が狭いから??いや、経験値は人一倍あるんですが、学習能力が低いからなんですかねぇ???

 

なんとも締まらないものになってしまいました。

時期が来たらこの辺の流れは再度しっかりと書き留めたいと思います。

 

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 09:50 | - | - | - | - |
Renewal part 5
 

1115

リニューアル 第5

 「自主規制」について書いています。戦争まで時は戻ってしまいました。

戦後の映倫のお話から、今日いよいよビデオ時代に入ります。

 

その後、テレビというメディアが一世を風靡し、次に出てくるのがビデオというものになります。1970年代、VHSという方式のビデオテープの時代に移ります。(β方式についてのお話は割愛します)映画館で視聴する形から家庭でテレビを見る形に、テレビからビデオの時代に、時は移ろって行きます。

 

視聴の方法と視聴環境が異なります。媒体も違います。そんな新媒体に対応すべくできたのがビデオ倫理協会のようです。初期は映倫の中にあったようです。(大手映画会社3社が発足させたと聞いています)かれこれ30数年前の話です。これもビデオという媒体を世の中に適正に出すための自主規制審査団体です。

 

時は過ぎ、90年代に入ると、ビデオなどの撮影機器、編集の機器等が進化し、価格も安くなってきました。

 

VHSのデッキもかなり安くなり、どんどん家庭に普及して行く時期となります。作品単価も下がり始め、これまでの11本をレンタル店に卸す流通に加え、11本をエンドユーザーに販売する流通ができ始めたのです。これがセルビデオの初めだと思います。そうすると業界に参入してくる人が増えてきます。そこで出来たのがメディア倫理協会です。

 

この話になるとまたまた長くなりますので省かせてもらいます。

 

何が言いたいのか、この自主規制というものは、メディアが変わるごとに新しいコンセプトで審査団体が生まれてきたということなんです。衛星放送ができればCS成倫が、アダルトゲームソフトの市場が生まれればソフ倫が…というように。

 

いずれも創造物を作るという自由度の裏返し、つまり責任部分のための団体なのです。今まで書いてきた一連の話の冒頭に清水先生の言葉を書きました。

 

「本来、自由と自律が生命である表現機関(メディア)が、外部の第三者に、倫理に関する判断やアドバイスを求めることは、決して望ましいことではない…」「しかし、メディアは社会に大きな影響力を持っているが、日常の活動に追われて、その影響力に伴う責任が、しばしば疎かになる。そのことが、社会の不信や批判を招くとともに、公権力の介入を呼ぶことになる」故に社会への影響力の大きさ、それに伴う責任を果たすためには、第三者機関による自主規制が必要である、と。

 

まさに時代の変遷とともに形は変わりながらも、上記の清水先生のお言葉通り、自律と責任を補うべく生まれた第三者自主規制機関こそが、微妙なバランスを保ちながら、制作者と社会とエンドユーザーを結びつける要の役を担っているんだと思います。

 

 気が付けば、ここ審査センターは、審査という業務を各団体から請け負っている組織なんです。この位置付けを間違えると非難バッシングの雨あられです。自分たちのポジションをしっかりと認識し、粛々と日々の業務に取り組んで行きたいと思います。

 

 ということで、リニューアルをした本ブログですが、ちょっと趣を変えてと実践してみたら、結構真面目な流れとなっております。まぁこれが本来あるべき姿、とも思えるのですが、なかなか集中しないと書けないことですので、今回は香港大学での講演原稿をもとにしたためてみました。

 

 最後に、香港という場所について。

 97年まで英国の植民地だった香港です。古き良き英国の伝統を残しつつも、すかっり中国風になってしまったような印象もあります。

 

 この香港は映画制作のメッカでもあります。ハリウッドに進出もしており、煌めく才能がアジア圏ばかりでなく、本場米国においても高い評価を受けています。

 

 でも、その映画の審査は、香港政庁で執り行われているのです。要するに国が検閲を行い、直すべきは直し、カットするべきはカットし、映像表現に立ち入っている、とも思われます。いや、今はまだ自由主義の余波から、思い切った指導とかはないのかもしれません。しかし、このような形態ではいずれ政府の思う壺に入る可能性は否定できません。仕組みの問題です(つまりは考え方の問題)。

 

 とすれば、今回講演で述べたような、第三者機関による自主規制の考え方は必要ではないのか、そう思っています。今後ここでの経験が役に立つのであれば、是非とも協力して行きたい、そう思う今日この頃です。

 

 <上述のように、今回の108日から本日までの本ブログの内容は、今年9月に
  香港大学で行われました大学院生、学部生
200数十名に対しての講義内容を
  受けての記述となっています。ということは、香港でこのような論理展開を
  して講演を行ったということで、日本における「自主規制」というものを認
  識してもらい、且つまだ「検閲」の体を成している香港の映像界に対するメ
  ッセージともなったと思います>
| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 06:12 | - | - | - | - |
Renewal part 4
 

118

リニューアル 第4

 「自主規制」について書いていたら、どうも審査センターの話になってしまい、リニューアルしたこのブログも相変わらずだなぁ、と言われてしまいそうです。

 

 といことで、月目標の発表で1週間空いてしまいましたが、「自主規制」復活第1弾としてまた思いをツラツラと。

 

 話は戦争中に飛びます。

 その頃、軍は国民の士気向上を図るために、積極的にメディアを利用しました。報道だったり(報道統制)、ラジオだったり、そして映画も大いに利用されたのです。日本の戦果を過分に知らしめることで、戦意を煽ったのでしょう。

 

 ナチスドイツもヒットラーが盛んにメディアを利用し、国民をナチス一色にし、反対する者たちを弾圧していくのです。ベルリンオリンピックが戦意昂揚に利用されたという話は、最近そこかしこで読んだり聞いたりします。

 

 イタリアのムッソリーニもそうだったんでしょう。権力者は必ず同じような手法で国民を統制しようとするのです。

 

 日本に戻ります。映像作者は軍部に取り込まれ、国威高揚の映像を制作します。それを各地で上映し、戦意を煽ります。これぞ映像による統制です。情報もしっかりと統制され、そこかしこに特高が暗躍し、自由な活動というものが一切できない状況だったと思います。

 

 そんな時代に、ものを作る創造者たちは、忸怩たる思いで、意に反したもの作りを強いられたのです。すべてが国のために、すべてが戦争のために…。

 

 終戦後、一気に価値観が変わります。米軍占領下といえど、自由なもの作りができるような時代に入ります。今までの欝憤を晴らすかの如く、自由闊達さを取り戻したのです。つまり、ようやく「検閲」の時代に終止符が打たれたのです。

 

 映像界においても、物資は不足してましたが、作品がどんどん生まれてきます。映画は国民的な娯楽となり、意欲的な作品がどんどん出てきて隆盛を極めつつありました。そんな最中にできたのが映像倫理委員会、通称、映倫です。

 

 創造の自由を実現しつつある、しかし自由には責任が伴う。もう二度と国家が創造物に関与するような悲劇はいらない。であるなら、自分たちで「自主規制」というものを行い、責任を果たすことが映像界にとり最善ではないか。このように考えられたのではないでしょうか。これはあくまで筆者の推論にすぎません。しかし、多くの人の話を聞き、書物等で読んだりして、導き出した答えなのです。

 

 1949年、今から60年以上も前のことです。大手映画会社が連帯して発足させ、初代のトップには学者が、委員には第三者有識者がなり、自主規制審査団体として船出をしました。(発足後10年くらいで見直しがあり、昭和30年代に組織替えをして今の映倫になったというお話も聞きました)

 

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 06:04 | - | - | - | - |
月目標
 

11月 1

今月の月目標

 もう11月です。来年からはカレンダーは手作りせず、市販のものを買ってこようと思う、そんな年の瀬となりました。

 

 ということで今月の月目標です。

 「ブレない」というものにしました。10月に「審査って何?」と日々の審査について問い掛けてみました。そんな最中、たまたま審査結果に対しての意見のぶつかり合いがあり、毎日夜遅くまで一つの判断について激論を戦わせたのです。

 <たまたまと書きましたが、意見のぶつかり合いは毎日のように起きています。でも今回の激突は近年稀に見るほどの熱い真っ向対立でした>

 

 意見が審査員間真っ二つっていうのも久しぶりでした。ここまで結果がはっきりと二分をする作品も珍しいのですが、時に怒鳴り合い、険悪な雰囲気になりながらも、ようやく一つの結論に達しました。

 

 「審査」というものの本当の部分を見た気がします。この激論なくして、いい「審査」なんてできないのです。真剣に画面と対峙して初めて客観性のある的確な結果が生まれるのです。

 

 その流れの中で、もう一度、「ブレない」ということを考えてみようと思ったのです。

 

ここ審査センターとしての審査上の判断は一つに集約されていきます。意見が分かれていても、対立していても、結果として一つのものにして行かなければなりません。

 

 そこで議論を交わし、皆が何度も視聴し、理論を構築し、それぞれの結論を導き出す。その作業の中で、時には感情に流されそうになり、時には他の意見に影響を受け、時には主観が客観を凌駕し、と悩み苦悶しながら結論を出していきます。

 

 その地道な作業だけが、信頼に足るここでの仕事となる訳です。そんな時に大事なことは、「ブレない」判断と「ブレない」主張をすることです。当然その「ブレない」領域に達するためには、日々の研鑽の積み重ねしかないのです。

 

 そんなことを思いつつ、11月は「ブレない」軸に従って行動をすることを目標としました。

| 一般社団法人審査センター センター長 | - | 06:00 | - | - | - | - |
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
+ SPONSORED LINKS
+ SELECTED ENTRIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ PROFILE